戦闘機パイロットの夢を追いかける青春物語

戦闘機パイロットになる夢を追いかける青春物語

防衛大学校物語 第249 -とりあえず最終話-

この物語の最初に書いたように人生というのは不思議なものである。

もう2度と航空の世界にかかわらない覚悟で自衛隊を飛び出したにもかかわらず、こうして今、再び航空会社でパイロットの安全運航スキルに関する教官として活躍させていただいている。

もし、空の神様というものがいるとしたら「お前は空の安全のために尽くしなさい」と軌道から外れた私の人生をもう一度、航空の世界に戻してくれたのではないかとついつい考えてしまう。

自衛隊時代、同期のパイロットは戦闘機部隊などでパイロットや飛行隊長などとして華々しく活躍しているにもかかわらず、私は閑職と言われている教育部隊での勤務が多く自分のキャリアを悲観したこともあった。

しかし、その教育部隊での経験が、今の赤い翼の航空会社におけるインストラクターとして活躍する礎になっていることは間違いないようだ。

「神様がいる説」でないとしたら、人間というものは知らず知らずのうちに自分の苦手なものを避け、自分の得意なものに近づこうとする傾向があるのかもしれない。

だから、私がこうしてパイロットの教官として空の安全に貢献しているのは必然だったのかもしれないという考えもある。

まったく人生というものは不思議なものであるが、一方で、案外合理的なものかもしれない。

兎にも角にも、この「防衛大学校物語」はいったんこれで終了にしたいと思う。

これまで読んでくださった方に感謝申し上げる。

もし、この防衛大学校物語が再開されていれば、それは私の人生に再び大きな転機が訪れたことを意味する。

きっと私はそれを知らず知らずのうちに望んでいるのだと思う。

皆さんと再会することを楽しみに、静かに待ちたい。(以上)

 

防衛大学校物語 第248 -タッチアンドゴー-

羽田空港の滑走路の間にあるオフィスで窓の外の景色を眺めるのが好きだ。

誘導路から滑走路に旅客機が進入しようとしていた。

どこへ行く便だろうか?

沖縄?北海道?そらともヨーロッパ?

搭乗するお客様たちは、旅行だろうか?出張だろうか?

お客様はきっとこれから向かう先のことに胸を躍らせているに違いない。

コックピットのパイロットは離陸を開始するため、スロットルの自動ボタンを押す。

この時、パイロットは覚悟を決めなければならない。

大型の旅客機がゆっくりと加速を始める。

もう後戻りは出来ない。

何百人という乗客の命を預かって目的地まで安全に飛行を続けなければならないと。

そんなパイロットの気持ちが手に取るように分かる。

そんな最高の景色を横目で見ながら私は赤い翼の大手航空会社で働いていた。

赤い翼の会社では「元戦闘機パイロットの○○さん」と私の経歴を尊重してくれる懐の広さがあった。

つい数ヶ月前までの辛い日々が嘘のようだった。

私は人生のタッチアンドゴーをきめて、再上昇したのだった。

 

防衛大学校物語 第247 -役員面接-

高層ビルの綺麗な会議室で最終役員面接が行われた。

面接ではなぜ自衛隊を辞めたのか?という点について多く聞かれた。

私は、理由を述べるとともに、最後に、航空自衛官はやはり空の仕事でなければ務まらないことを自衛隊を辞めた後痛感させられた。今は自衛隊を辞めたことを後悔していると、正直に自分の気持ちを述べた。

最終面接から数週間後、なかなか面接の結果の連絡が来ないため、こちらから担当してくれた人事の方にメールをしてみた。

夜遅く保育園の仕事帰り、もうすぐ自宅に着くというタイミングで携帯のメール着信のアラームが鳴った。

暗い夜道で歩きながらメールを確認した。

赤い翼の人事部からのメールだった。

「これから仲間として一緒に働きましょう」と書いてあった。

涙が溢れてきた。

大人気なく私は、おいおいと嗚咽を漏らしながら泣きながら歩いていた。

「お母さん、やったよ」

自宅近くのコンビニ近くまできたが、明るい照明のコンビニの灯りが滲んで花火のように見えた。

辛い期間を乗り越えてついに私は空の仕事に帰ってくることが出来たのだった。

この時の喜びは一生忘れないだろう。

私は人生の賭けに勝ったのだと思った。

 

 

防衛大学校物語 第246 -大手航空会社の面接-

1次面接は、羽田空港ターミナルに隣接した会社のオフィスで行われた。
若い人事担当者と待ち合わせした私は、オフィスの入り組んだ奥にある面接が行われる小さな会議室に案内された。

そこに、同年代と思われる4名の男性がいた。

面接のインタビューを行うに先立って、課題として求めれれていたプレゼンテーションを行うことになった。

晩年幹部自衛官を対象とした部内誌に投稿し、好評だった旧軍の軍人のリーダーシップに関する記事を要約してプレゼンすることにした。

もう二度と自衛隊に関する事に触れないつもりで自衛隊を飛び出したのに、ここで再び自衛隊時代の記事を掘り起こして人前でプレゼンをすることが不思議だと思った。

兎にも角にも、長い間、教育畑で勤務してきた私にとって、人前で話をすることは私の真骨頂というべきものだった。

そして、大好きな尊敬する軍人のことを人に話ができるので、嬉しくてたまらなかった。

これまで、自分はパイロットなのに何で教育関係のポジションばかりなのだろう?と華々しく戦闘機の運用部署で勤務する同期たちを羨んだこともあった。

しかし、今、教育畑で勤務してきた私のキャリアが存分に生かされる時がきたと感じた。

私のプレゼンを聞く、面接官たちはどんどん私の話に引き込まれているようだった。

その後、引き続く面接においても、面接官のポジティブな感触を感じた。

「うん、うん。分かる、分かる。」というような理解と期待感みたいなものが。

数週間後、1次面接合格の連絡を受けた。

次は最終役員面接だった。

私は、再び神社に行き、軍神たちに合格をお願いした。

 

防衛大学校物語 第245 -やっぱり空の仕事がしたい-

来年度の開園準備に関する業務について、要領を得ない私の態度に対し、バツイチ・子持ちで若い頃はバドガールだったという同僚に「50歳にもなってそんなこともできないのかぁ!」とののしられた。

もう限界だった。

許されるならもう一度空の仕事に戻りたいと、思うようになった。

片っ端から航空関係の募集に応募してみることにした。

その中には数か月前に知り合いの自衛官が教えてくれた赤い翼の大手航空会社の募集もあった。その時は、「絶対無理だ」と、応募をためらったが、今回はダメもとで応募してみることにした。

応募してから数週間後、赤い翼の航空会社の人事担当者から面接の調整のための連絡が来た。

赤い翼のパイロットに対する地上座学教育の教官のポストであり、面接では教官としての適性を評価するため模擬座学を実施するので自作のスライドを送付する必要があった。

私は、以前、部内誌に投稿した旧軍のパイロットで、のちに航空自衛隊で活躍されたある軍人の生涯についての記事を使うことにした。

私が今でも尊敬してやまない軍人だった。

このような人になりたいと。

航空自衛隊を辞めた時に、もう二度と軍事や自衛隊関係について触れることが無いと思っていたので、再びその軍人について人前で語ることに不思議な縁を感じた。

保育園の運営会社のそばに戦没軍人を祀る神社があったので、私はよく昼休みになると歩いて神社に参拝に行った。

現役自衛官時代は、そういうことにあまり関心がなかった。

しかし、自衛隊を辞めてみて、自分のアイデンティティはやはり防衛大卒の幹部自衛官であることを悟った。

これは死ぬまで変わらないのであろうと。

「どうか採用されますように」

私は軍神たちにおねだりをした。

 

 

 

 

 

防衛大学校物語 第244 -園のもめごと-

ある保育園で人間関係のもめごとが起こっていた。

園のナンバー2の主任が同志の保育士たちと、園長の指導力の無さに反発しているのだった。

確かにその園長は少しリーダーとしてのマネージメント力に欠けているようなところがあった。

保育園の本質的な問題として園長のリーダーシップがある。

保育士として何十年も勤務してきたという理由だけで、きちんとしたリーダーシップを学ぶ機会がないまま園長に担ぎ出される者もいる。

弁の立つ主任をリーダーとする「主任軍団」は、普段必要最小限のこと以外は園長と会話することもなく淡々と保育業務を行っているが、あからさまなイジメが発生していた。

園長は耐えきれなくなり体調不良で休むことが多くなっていた。

エリアマネージャは、園長と主任軍団との間に入り事をうまく納めなくてはならない。

園長の方ばかり擁護すると、主任軍団が騒ぎ始める。

年下の上司と一緒にいつも夜21時過ぎまで関係する保育士たちとミーテイングの場を持った。

正直なところ、どちらも何をしたいのかよくわからなかった。

きっと男性と女性の違いなのだろう。

具体的な解決方法を見つけ出すというよりか、自分たちの話を聞いて賛同してくれるまで続くのだと思った。

自衛官という男性社会で長年過ごした私にはまったく理解できない思考だった。

他の園では、若いかわいらしい保育士と園児のお父さんとの怪しい関係の処理に奔走した。

当該保育士の処分の仕方に落ち度があるとして保育士の父親から直接叱責を受けることもあった。

毎晩遅くまで、PCの入った重い鞄を持ってあちこちの保育園を回ることにだんだん嫌気がさしてきた。

ずっとこのままの仕事を続けられる自信がなかった。

 

個人的には、働き口はいくらでもあるのだから、

主任軍団は

 

しかし、もともと人の上に立つのが苦手な者

 

防衛大学校物語 第243 -保育園の闇-

その「親分肌」の60代の女性園長は、よく私に電話をかけてきた。

洗濯乾燥機をつけて欲しいだとかのおねだりである。

それをなおざりにしていると園長は癇癪を起して怒り出してしまうので、すぐに園に赴き御用聞きをするのが常となった。

行くといつもテーブルを挟んで延々と園長の結論のないお話を聞かなくてはならない。

園長の話は毎回2時間ちょうどに終わることを発見した私は、毎回うわの空で話を聞きながら差し出された目の前のお菓子を堪能していた。

きっと話を聞いてあげればよいのであると私は思った。

私から見ると珍しく「リーダーシップ」と「男気」のある園長に思えたが、少し強引なところもあり、悪評もよく聞いた。

特に自治体の保育課担当者との折り合いが悪く、よく電話越しに喧嘩をしているらしい。

別件で自治体の保育課に行ったときに、保育課の女性係長は、「あの生意気な園長を解任しろ」と言わんばかりに小言を聞く羽目になった。

保育園は、自治体による補助金によって成り立っているといっても過言ではない。

だから自治体保育課の立場は強大である。

何か問題があるとすぐに私のようなエリアマネージャーは保育課に出頭を求められ、迅速な解決を約束させられるのだ。

自衛隊時代に課長を経験した私にとって、係長ごときに説教を食らうことになるとは…と思いながら、目の前で吠える女性係長の話をうわの空で聞いていた。