北方領土上陸に失敗したコーチは、次に日本固有の領土であるにもかかわらず自由に行き来が出来ない尖閣諸島の状況を自分と同じ「はぐれ者」と映ったのだった。
このため尖閣諸島上陸を目指し、石垣島に移住して手漕ぎボートの訓練を重ねるとともに、独学で天則航法を習得した。
これを監視していた海保の職員からは、危険だから手漕ぎボートで尖閣諸島に行くのは止めるようにと諭された。
しかし、意を決したコーチは、ある穏やかな日に、尖閣諸島に向けて出発したのだった。
石垣島を出発して海流にうまく乗れば3日後には尖閣諸島付近に到達出来るはずだった。
しかし1日も経過すると自分の位置が分からなくなり、あとは海流任せとなった。
翌日、目を覚ますと、遠くに島影が見えた。
尖閣諸島だった。
本当に海流に乗って尖閣諸島付近までやってきたのだ。
コーチは、魚釣島に無事、上陸した。
魚釣島では釣りなどしながら食料を自給したが、とにかく蚊が多くて大変だったという。
途中、右翼団体の一群が島に上陸してきて、一緒に共同生活が始まった。
右翼団体は島にヤギも持ち込んだ。
私は研修とした自衛隊の航空機から魚釣島上空を見たことがあるが、確かに島には野生化したヤギがいた。
その間、いつも海保の巡視船が島の近くに来てはコーチたちをずっと監視していた。
3カ月位たったある日、コーチは島での生活に飽きて、帰還することを決心する。
こうして魚釣島での生活に終わりを告げた。
その後、那覇市に居住したコーチは、護国神社の神主などの仕事を経験し、現在の地域の青少年のためのボクシングジムのコーチとなったのである。
年老いたコーチの目に、今の日本がどのように映っているのだろうか?
興味深い。