その一団を率いてきたのが自民党沖縄県連の若い政治家Kさんだった。
Kさんは私より少しだけ若く、国政を目指しているものの、なかなかその夢を果たせない「浪人中」の政治家だった。
彼の祖父は、戦後の沖縄復行に尽力された方であり、彼の家系は沖縄経済界の重鎮だった。
そしてその時、彼の父親が沖縄防衛協会の会長を務めていた。
基地の防衛協会の会長は自民党支持者のままという「ねじれ現象」が起こり、全国でいろいろ問題が発生していた。
自衛隊員が特定の自民党系支持者と仲良くしていると、政権与党の民主党から睨まれる危険性があったのだ。
このため本来、沖縄防衛協会の婦人部の基地見学の対応も防衛協会会長の子息であるKが一団を率いてやってきたのだから、あいさつ程度でも司令官が顔を見せてもよいものを、航空幕僚長を目指す司令官にとっては民主党政権に睨まれたくなかったためか、婦人部見学の対応の一切を直接の部下である基地司令に丸投げしたのだった。
何かあっても、民主党政権から睨まれるのは基地司令だけだった。
兎にも角にも、私は司令部の課長として、一団に対して情勢ブリーフィングを担当した。
Kさんは最前列で熱心に私のブリーフィングに聞き入り、東アジアの安全保障における沖縄の重要性について理解を深めていた。
昼食は自衛隊の隊員食堂で一緒に自衛隊の食事を体験していただいた。
基地司令と私は、Kさんと向かい合い、食事と会話を楽しんだ。
そこには一切の打算もなく、基地の理解者をもてなす純粋な気持ちしかなかった。
しかし、私はそれ以上の感情が芽生えていた。
政治家ってどんな人なんだろうか?どんなことを考えているのだろうか?と。
そして私は、思い切って行動を起こしたのだった。