3月に国立大学2校の2次試験受験のため、地元から特急列車で1時間半の大きな街に向かった。
1校目は、真面目に受験したが、2校目の有名国立大学の2次試験は、受験会場すら行かなかった。
どうせ受からないだろうと思っていたのと、もう一つ別のイベントに行くつもりだったからだ。
それは、スキーのジャンプ競技を観戦することだった。
父の影響で冬はテレビでスキージャンプ競技を見るのが好きだった。
当時、圧倒的な強さを誇っていたのたのが、地崎工業所属の秋元正弘で、サラエボオリンピックに出場すれば間違いなくメダルを獲得が期待された選手だった。
滑走直後に車のガルウイングのように両手を上に伸ばすしぐさをよく真似した。
しかし、秋元選手はオリンピック前に重大な交通事故で逮捕され、競技も1年間の謹慎処分を受けてしまうのだ。
オリンピック出場も消えた。
その秋元選手の復帰戦が有名国立大の受験日と重なったのだ。
「受験なんかしている場合じゃない。秋元選手の復活のジャンプを応援に行かなくては」と思い立ち、バスを乗り継ぎ生まれて初めてジャンプ競技場を訪れた。
結果はブランクを感じさせない堂々の3位だった。
また、この時、スキージャンプはテレビで見るもので、競技場で見るものではないと強く感じた。
とにかく寒い。ジャンパーも上の方でピョンと飛ぶのが見えるだけだった。
国立大の2次試験受験を終えて、数日ぶりに我が家に帰宅した私は、母に「全然だめだった」とだけ告げた。
有名国立大学は受験しなかったことは言わなかった。
もう後戻りはできない。
自分の進むべき道が決まった瞬間だった。