戦闘機パイロットの夢を追いかける青春物語

戦闘機パイロットになる夢を追いかける青春物語

防衛大学校物語 第224 -若いパイロットたち-

ある飛行教育部隊だけがパイロット学生の罷免率か異常に高かった。

比較的、成績良好の学生を送り込んでいるのにそのような状況であった。

色々調べてみると、そこの教官三人衆がとにかく厳しいというのだ。

ある時、三人衆の一人が私に向かって「ダメな奴はバンバン、クビにしますから」と得意げに語った。

私は「ダメな奴を切るんじゃなくて、ダメな奴でもモノになるように育ててくれよ」と内心思った。

しかし、学生パイロットの素質は現場の教官しか分からない。

課長といえども司令部か口出しすることは出来なかった。

ある日、米国留学から帰国して、問題の飛行教育部隊で教育を受けている学生2名のうち、一人はクビになって、もう一人は、家庭の事情で自衛隊を退職することになったという。

後者の者は、米空軍の司令官褒賞をもらったほど成績優秀だった。

日本に帰って来たら、自衛隊の厳しい教官達の指導に嫌気がさしてモチベーションが落ちてしまったに違いない。

戦闘機パイロットには厳しさは必要だが、それは任務に対する厳しさであり、個人の人格に対する厳しさではないはずだ。

学生か高いモチベーションを持って教育に臨むように手助けをするのが教官の役目である。

ちなみに、その2人の米国留学のために日本が支払った額は2人合わせて8億円以上だった。

お金が惜しいわけではないが、学生たちのやる気を削ぐような教官にはお引き取り願いたいと思った。

私は憤って、自分で直接口を挟むことは出来ない代わりに、空幕の補任課担当を利用してその飛行教育部隊のパワハラを是正することを試みた。

ある日、私は後輩にあたる空幕補任担当に電話をかけ、「君にしか出来ない事がある」とそそのかしたのである。

つまり、その教官を異動させよ!という意味である。

それからしばらくして三人衆のうちの大ボスが異動になった。

私のしたことと関係があるのかどうかは今となっては分からない。