通常ならば浜松基地の基本操縦課程を卒業すると機種ごとに分かれて戦闘機操縦課程に進むのだが、東日本大震災の津波により松島基地のF-2戦闘機が喪失したことが原因で養成能力が一時的に減少し、飛行教育が滞る事態が発生していた。
あぶれてしまったパイロット学生たちは、一時的に飛行教育から離れ、浜松の航空教育集団司令部で待機することになる。
彼らは「待機操縦者」と呼ばれ、長い者では約1年8カ月ほど、待機を余儀なくされる。
その間、ほとんど飛行機に搭乗することが無いため、飛行手当も貰えない。
彼らは航空教育集団司令部の地下階の一室を拠点にして部隊研修など様々なイベントをこなしながら長い待機期間を過ごす。
しかし、ほとんどの時間は、司令部の地下で毎日自習をしている状態だった。
私は、実質的な監督者として彼らの面倒を見なくてはならなかったのだ。
多い時には20名くらいに膨れ上がった二十代の若いパイロット学生に対し、パイロットの先輩として彼らが不憫で大変申し訳なく感じた。
「普通なら次の課程に進み、今頃、戦闘機をバンバン操縦しているはずなのに、こんな所に押し込められて」と。
長い待機生活が原因なのか、次の戦闘機操縦課程や戦闘機部隊に行ってから、若年パイロットのモチベーションが問題となっていた。
緊張感の無い待機を長期間過ごしたパイロット学生は、厳しいパイロット教育の世界に戻った時に、耐えられなくなるのだ。
兎にも角にも。私は、組織に翻弄される彼らが可哀想で仕方なかった。