戦闘機パイロットの夢を追いかける青春物語

戦闘機パイロットになる夢を追いかける青春物語

防衛大学校物語 第225 -待機操縦者の救出作戦-

今度はある待機操縦者をフライトに復帰させるための行動を起こすことになった。

O3尉は、待機期間中に球技の事故で、片目の眼底骨折をしてしまい、視野が欠けてしまったのだ。

もう2年以上、療養していたが、後輩にどんどん先に越されてしまうため、私たち司令部のオフィスで事務の雑用などの仕事を手伝ってもらっていた。

そんな彼に対し、航空医学実験隊からは、戦闘機パイロットは勿論のこと、パイロットとして復帰できる可能性は五分五分だという話を聞いた。

私は、輸送機や救難パイロットでもいいからどうしたら彼がパイロットとして復帰できるのか、航空医学実験隊に聞くと、ある特定状況下でも彼が十分にパイロットに必要な視力を発揮できることを確認する必要があると言われた。

そこで私は彼のためのひと肌脱ぐことを決心した。

ひと呼んで「O3尉救出作戦」である。

彼を実際にT-4練習機に同乗させ、あらゆる状況下での視力確認するための確認飛行を行う。

確認飛行のメニューおよびT-4練習機とパイロットの手配などについては、私は勿論のこと、私の部下たちも日頃から事務を手伝ってもらっている彼のために一生懸命動いてくれた。

私は、仁義を切るため、T-4練習機とパイロットを借りる飛行隊に赴き、飛行群司令のところに赴いた。

飛行群司令は、一人のパイロットとして自分たちの後輩を救うための行動に支援を快諾してくれた。

唯一この確認飛行の難しさは気象条件にあった。

1回のフライトですべての確認を終了するためには、で晴天下と曇天下の両方の条件が必要だった。

そんな都合よく両方の気象条件が整うことはなかった。

しかし、フライトを計画した日に、運よく両方の気象条件が整ったのだ。

彼にとって航空機同上は、2年以上ぶりになる。

2機のT-4練習機は浜松飛行場を飛び立ち、私も確認飛行の責任者としてこれに同乗した。

支援のベテラン教官たちは、曇天気象条件下での確認のため、危険なカミナリが光る積乱雲の近くギリギリをリスクを承知で飛行してくれた。

そしてすべての確認飛行を終え、無事、飛行場に着陸した。

2年以上ぶりのフライトを終えた彼の顔面は蒼白だった。

O3尉は、久々のフライトで途中で吐き気を催したそうだが、自分のためのこのフライトを台無しにしいないために、これをぐっと我慢していたのだった。

最後に、全ての状況下でO3尉の視力は問題ない旨、記した報告書に当該フライトのパイロットと私の署名をして、これを航空医学実験隊に提出した。

数か月後、彼を救難機パイロット候補者として訓練を再開する旨、航空医学実験隊から連絡が届いた。

O3尉にとっては、戦闘機パイロットを断念しなければならないつらさはあっただろう。

しかし、私は彼に「戦闘機パイロットだけが人生ではない」と説いた。

私は、彼が2年間、私たちのオフィスで雑用をしている姿を見て、彼の真面目で几帳面な態度を感じ取っていた。

私は、彼ならこれからさまざまな場面で航空自衛隊パイロットのために活躍してくれるだろうと確信していた。

ある職場の酒宴で、彼の彼女と遭遇した。

航空自衛隊飛行機オタクだという彼女にとって、もう戦闘機パイロットでなくなった彼はどのように映っているのだろうか心配だった。

しかし、O3尉と彼女の様子を見ている、その心配も必要ないと感じた。

多くの先輩パイロットたちの意思によって生かされた彼の今後ますますの活躍を期待せざるを得ない。