ギャンブルとは無縁な性分であるが、自分の人生を競馬のレースに例えると、もう最終の第4コーナーを回り切ったというところだろうか?
とんでもない奇跡が起こらない限り、すでに勝負はついているのかもしれない。
それでも、少しでも順位を上げたいと思うのが人間の性なのだろう。
毎日の自分の生活で起こる小さな出来事に一喜一憂している。
今の自分の置かれた状況を考えた時、1つだけ不思議に思うことがある。
それは、自分の運命はすでに決まっていて、もう変えることが出来ないものなのではないかということである。
自分の人生を長い道に例えた場合、自分が歩いている道とは違う別の道を歩こうとしても、上空から神様らしき者が見ていて、その者によって元の道に戻されてしまうのではないか?
これまでの自分の人生を顧みると、ついついそんなことを思う。
そうなると俄然、過去の自分の身に起こった出来事に興味が沸く。
あの時の自分の判断や行動はすでに決まっている「道」を歩き続けるための必然であり、自分の周りで起こった嬉しい出来事や悲しい事件は起こるべくして起こったこと、つまり仕組まれたことだったのかと。
この仮説を明らかにするためには記憶を頼りに自分の半生を少し振り返ってみる必要があるようだ。
昔の記憶は今でも脳裏に鮮明に焼き付いている。
まるでボタンを押せば再生される記憶媒体の中のメモリーのように。