戦闘機パイロットの夢を追いかける青春物語

戦闘機パイロットになる夢を追いかける青春物語

防衛大学校物語 第198 -東日本大震災を知らず-

1年間の幹部高級課程が修了すると全員、1佐職のポジションへ異動となる。

私は、那覇基地にある司令部の課長に配属となった。

転勤直前の3月に私は一人で実家に帰省していた。

そして帰りの飛行機に乗っている時に東日本大震災は起こった。

だから、私は日本にいたにも関わらず地震の「揺れ」を知らないのだ。

私たちの飛行機は目的地の羽田空港に着陸できず、上空待機の後、中部空港に向かった。

中部空港で何時間も機内で待機させられた後、ようやく夜に羽田空港に到着した。

しかし、羽田空港からの電車が全線ストップしているので、その夜は羽田空港の冷たい床で雑魚寝することになった。

空港職員が空港内の人々に緊急用の毛布を配布していた。

大人でも床に体を横たえるとその冷たさを感じるほどだったのだから、毛布は老人や子供に対して配布すべきだと思った。

しかし、あっという間に早い者勝ちで毛布は無くなっていった。

もちろん私は毛布などもらわず、ジャンバーを床に敷いて、その上で寝た。

翌朝、電車が動き出したので、品川に向かい、そこから目黒の幹部学校まで徒歩で前進した。

震災の被害を報道するニュース番組を見ながら、その被害の大きさを初めて実感した。

全国の自衛隊部隊が災害派遣活動を行うため、私の沖縄への異動も半月延期となった。

4月半ば、引っ越しのトラックを送った妻と小学生になる息子の私たち家族は航空機で沖縄へ向かった。

新天地での要職に胸がどきどきする思いだった。