約1年半の在日米空軍司令部での勤務を終え、浜松基地にある航空教育集団司令部の教育第2課長へ異動となった。
航空自衛隊に入隊依頼、若い時は戦闘機パイロットとして毎日空を駆け巡っていたが、指揮幕僚課程卒業後は、航空機やパイロットとは無縁のポジションでの勤務が続いていた。
はじめて飛行機関連のポジションに就いた。
航空自衛隊のパイロット養成教育を統括する司令部の要職だった。
子供が中学生に上がるので、浜松へは単身赴任となった。
引っ越しの時は妻が浜松まで手伝いに来てくれた。
引っ越しで、布団一式を忘れてしまい、到着した日にすぐにホームセンターに布団一式を買いに行くハプニングがあった。
浜松での単身赴任は3年に及ぶが、いいのか悪いのか、とにかく妻が浜松を訪れたのはこれが最初で最後だった。
老朽化した汚い官舎で、私の単身生活が始まった。
関東での長い電車通勤から解放され、毎日15分くらいの自動車による通勤は快適だった。
職場に到着し、課長の座席に着くと、部下がコーヒーを出してくれる。
出張時の旅程の計画は勿論のこと、仕事の相手先にメールを打つことさえも部下がやってくれた。
自分は、それに間違いがないか確認するだけである。
据え膳、上げ膳の世界だった。
部下は幹部4名、下士官等が4名の合計8名だった。
しかし、もっと厄介な「部下たち」がいて、彼らのお世話をしなければならなかったのだ。