着校日からしばらくの間、新一学年は「お客さん」扱いだった。
上級生たちも、特段優しいというわけではないが、頼りになる先輩と言う感じだった。
掃除、洗濯、縫物、作業など生活の仕方について一から学ぶものばかりで、忙しい一週間が経過した。
それでも、その間、舎前のアスファルトを私服姿で校門に向かってトコトコ歩いていく者をよく目にした。
彼らは入校式を待たずに防衛大を去る者たちである。
防衛大に来たのが間違いだった。今なら他の大学の入学に間に合うかもしれない、と。
4月初旬、防衛事務次官など内外から多くの来賓を迎え、盛大に入校式が行われた。
入校式には遠い故郷から飛行機で両親が駆けつけてくれた。
親と会うのは一週間ぶりだったが、短髪に制服姿に変わってしまった私を見て両親はさぞ立派になったと思ったに違いない。
午後からのパレードでは、新一学年の入校を祝うため、ブルーインパルスや戦闘機などが上空を舞った。
ほとんどが地方出身者だったが、大掛かりな仕掛けで祝福してくれるセレモニーに自分たちは特別な存在なのだという気がした。
こうして小原台に集結した新一学年約600名の生活がスタートした。
全ての行事が終了した私は、両親を校門まで送って行き、そこで別れた。
外出許可が無ければ校門から一歩も出ることは許されない。
あとで父親から聞いたのだが、私と校門で別れた後、母親は泣いていたそうだ。
これからすべて一人で生きていかなければならない息子を想うと不憫に思ったのだろう。
桜吹雪が舞う中、嵐の前の静かな時間が過ぎていった。