戦闘機パイロットの夢を追いかける青春物語

戦闘機パイロットになる夢を追いかける青春物語

防衛大学校物語 第39 -陸海空、運命の分かれ道-

2年に進級するときに陸海空要員が決まる。

防大に入学する前年に映画「トップガン」が封切られ、話題となっていた。

一年生の夏にアンケート調査を行うと75%が航空志望であった。

しかし航空要員になれるのは25%だけで、半分は陸上に行かなければならなかった。

航空要員になれなければ、戦闘機パイロットの道は途絶えることになる。

一年生の終わり頃、要員を決めるため指導教官との面談が行われた。

しかし、私には一つ懸案があった。

それは、高校3年生時に受けた航空学生3次試験(実機による操縦適性検査)に不合格となっていることだ。

私を心配した指導教官のH2尉が航空自衛隊に問い合わせをしてくれた。

適性試験に落ちたということはパイロットとしての適性が低いということであり、航空自衛隊パイロットを目指すのは難しいのではないか?というのが航空自衛隊側からの回答だった。

指導教官は、パイロットになりたければ海上自衛隊もあるぞ、とアドバイスをくれた。

純情な私の心は動揺していた。

故郷の母に電話して、海上自衛隊パイロットを薦められたと話すと、母は「船乗りは親の死に目に会えないから嫌だわ」と、とんちんかんな話をしていた。

しかし当時の私にとっては重要な判断材料だった。

要員選考が大詰めを迎えていた冬のある日、指導教官から「君はアメフト部でグランドを走ってばかりいる。だから陸上要員でいいよな」と揺さぶりをかけてきた。

部屋に戻った私は、何とも言えない不安に襲われた。

このままだと陸上要員になってしまう。戦闘機パイロットになる夢は断たれる。

私は条件反射のように部屋を飛び出し、指導官室に突入した。

「わ、わたしは…。私は航空がいいです。」

指導官は突然の直談判にきょとんとしていた。

それから数週間後、要員が発表となった。

2学年から航空要員となることが決まった。

とりあえず第一関門突破である。