戦闘機パイロットの夢を追いかける青春物語

戦闘機パイロットになる夢を追いかける青春物語

防衛大学校物語 第146 -福岡空港着陸までの珍道中-

戦闘機パイロット時代に「やらかした」事件が2つだけある。

そのどちらも後で叱責を受けたり、処罰されたりせず、闇に葬られている。

しかし、今でも思い出すたび冷や汗が出てくる。

そのうちの1つが福岡空港事件である。

要務のため三沢から那覇まで行く途中、燃料補給のため宮崎県の新田原基地に着陸予定だった。

しかし、着陸直前、新田原基地悪天候のため着陸できなくなってしまった。

20分先行した先輩たちの機は、代替飛行場に指定していた北九州の築城基地に向かい、無事着陸した。

しかし、私たちの時には、その築城基地悪天候のため閉鎖となってしまった。

九州にある自衛隊飛行場はすべて閉鎖になってしまったのだ。

結局、先輩が前席で操縦する私たちの機は民間空港の福岡空港に着陸するよう管制官から指示を受けた。

私たちは民間空港である福岡空港の知識は全く無かった。

慌ててしまった私は、ここで前席の先輩に間違ったアドバイスをしてしまったのだ。

そのため飛行場までの距離を示す計器が0を示した時、普通ならば目の前に滑走路があるはずなのだが、先輩はポツリと一言「おい、飛行場が無いぞ」と私に言った。

後席から前方の景色を見ると、そこには博多湾と博多の街並みが広がっていた。

当然、着陸する直前だったので高度はかなり低かった。

このまま、天神の「親不孝通り」に着陸したら本当の親不孝になるのだろうか?と思ったかどうかは分からないが、絶体絶命のピンチだった。

着陸しようと思ったら目の前に滑走路がないのである。

すると突然、無線で「そのまま真っ直ぐこーい」と言うおじさんの声が聞こえた。

実は福岡空港には空自の航空機が駐在していて、ことの顛末を見守っていたその飛行隊のベテランパイロットが地上から無線で助言してくれたのだ。

前席の先輩はすぐに真っ直ぐ再上昇すると遥か前方に福岡空港が見えた。

助かった!!

福岡空港の場合、距離情報を発信する局が飛行場にあるのではく、9キロメートルくらい離れたところにあったのだ。

この事件からしばらくして、全国の飛行隊に「福岡空港着陸要領」という冊子が配布された。

私たちのような目に遭わないようにしっかり勉強しろ!ということなのだ。