三沢帰投のフライトの後席は、フライトコース時代からの友人であった2尉だった(昨日一緒にジンギスカン屋に行ったS2尉とは別の者)。
普通、パイロットはどんなにビビっていても後席に同期相当の者が座る時に弱音を吐くことは絶対なかった。
ライバルに「こいつは弱い」と思われたくないからだ。
しかし、私はついに後席のS2尉に「もし、何かおかしな操縦をしていると思ったら、操縦かんを取ってもいいから…」と弱音を吐いた。
それくらい、今回のフライトには何かよからぬことが起きる「匂い」がしていたのだ。
案の定、編隊を組んで離陸したが、すぐに雲中飛行となった。
雲中のためリーダーの翼端灯がかろじて見えるかどうかのところを懸命に編隊を崩さないようついて行った。
雲を避けるため高い高度を選択することはできなかった。
なぜなら、すぐ上の高度には、三沢から千歳に帰投するF-15飛行隊が移動中だったからだ。
私たちは、夜間の雲中で編隊飛行を続けた。
その状況でリーダーは燃料放出の合図を送ってきた。
スロットルを全開ににしてスピードブレーキを開き編隊を組みながら燃料を放出する。
激しい振動と轟音がコックピットを襲う。
ついにリーダー機はもはやこのまま雲中で編隊を組むことは危険と判断し、2マイル(約3.6km)のレーダートレイル隊形に移行するよう指示を出した。
2マイル後方に遷移した私は、内心、ホッとした。
ところが、リーダーはさらに燃料を消費するために、アフターバーナーの使用を指示していたらしい。
私はその指示を聞き逃していた。
気づいたときには、リーダー機との距離は5マイル(約9km)に広がっていた。
私はあわてて加速して、広がってしまったリーダー機との距離を詰めなければならなかった。
夜間の雲中で私は500ノットの高速でぶっ飛ばした。
普段はやらない全く基本を逸脱した飛行だった。
三沢周辺まで来ると、ようやく雲から抜け出すことができた。
「あぁーようやく帰ってきた。」と気持ちが緩みそうになった。
しかし、この演習が始まる前に私は夜間訓練で着陸が上手くいかず教官から大目玉を食らっていた。
そのため、私は今回は着陸だけは「しっかり決める」と目標を設定していた。
そして着陸をしっかり決めることができた。
着陸まで緊張感を途切らせなかったことが生きるか死ぬかの命運を分けたのかもしれない。
無事2週間ぶりに飛行隊のオペレーションに帰って装具を脱いでいた私らに対して、慌てて階下に降りてきた隊長は思わぬ言葉を発したのだった。