テキサスでの訓練を終了して3カ月ぶりに飛行隊に復帰した。
指揮幕僚課程の選抜試験に合格したため、4か月後には飛行隊を離れ、4月から幹部学校に入学することになる。
それまでにパイロットしての最終関門である編隊長練成訓練が待っていた。
2機で作戦行動をする戦闘機にとって、そのリーダー機である編隊長になるのは、僚機の命を預かるという意味でハードルが高かった。
いうなれば、戦闘機パイロットを目指した者にとって編隊長になることが最終目標を達成したことと言っても過言ではない。
17歳に戦闘機パイロットを目指した若者の最終ゴールがそこにあった。
しかし、ここ最近の飛行隊での編隊長練成訓練の状況をみると、特に一般大学出身者で編隊長になった者は皆無だった。
皆、編隊長になることなく飛行隊から姿を消していたのだ。
編隊長練成訓練が始まると、実際自分がリーダー機として僚機を指揮しながら飛行することの難しさに直面した。
ある教官からは4回同乗してもらって4回とも不可の成績を付けられた。
これは完全に個人的な感情だった。
技量がままならないのに指揮幕僚課程に入校するからと言う理由で編隊長練成訓練を開始したことに対する反発のようだった。
官舎に帰ると生まれたばかりの息子の夜泣きで妻が大変なことになっていた。
そんな時でも、私は妻に背中を向けて睡眠に集中した。
寝不足でフライトが失敗するわけにいかない。
僚機の命を預かっているから、と。
妻には申し訳ないことをしたと思っている。