身重の妻を日本に残して私はこの海外訓練に参加していた。
そしてついに長男誕生の知らせが届いた。
メールで生まれた直後の長男の写真が送られてきた。
特に感動とか父親の自覚などという実感は無かった。
テレビなどでよく見る赤ちゃんだった。
妻が出産までどれだけ不安な思いをしたかなんて当然分からない。
5年間の遠距離恋愛、東京でのOL生活を辞めて青森県三沢基地での官舎生活、そしてダンナが長期出張中での初めての出産。
妻は一度も不満を言ったことは無かった。
名前の候補は渡米前に妻といくつか話し合って決めていた。
父親が初めての海外出張中に生まれた子なので、将来世界で活躍するような人になって欲しいとの願いを込めて名前を決めた。
また、ある日、米国での勤務部署の長から私にビッグニースが伝えられた。
指揮幕僚課程の選抜試験に合格したのだ。
誰もいない所で「やった!」とガッツポーズをしながら叫んだ。
地道な努力が実り、最高に嬉しかった。
飛行隊での友人の墜落死から、飛行隊長なと指揮官の指揮や責務ということについて毎日毎日考え続けた。
それまで読書なんてしたことが無かったけれど、多くの書物を読み漁った。
正解があるわけではなく、それはまるで禅問答のようなものだった。
自分が事故の無い強く明るい飛行隊を作りたいという思いが猛受験勉強のモチベーションとなった。
兎にも角にも、将来の指揮官への門が今、開いたのである。