戦闘機パイロットの夢を追いかける青春物語

戦闘機パイロットになる夢を追いかける青春物語

防衛大学校物語 第169 -生きるために英語をマスター-

息子の発熱のため1週間遅れで妻と息子がコロラドスプリングスに到着した。

幼子を連れての長旅は大変だったに違いない。

しかし、当時の私にはそんなことを気遣う余裕すらなかった。

米国の運転免許を取得すれば米軍人と同じ自動車保険に加入することができることが分かった。

前任者O3佐の勧めで、すぐに運転免許試験を受けに行くことになった。

英語で書かれた学科試験の教本を一晩で読んで理解しなければならず、一睡もできなかった。

しかし、運転免許試験場に行くとビザの関係ですぐに運転免許の試験を受けることができないことが判明した。

前任者が、「What should I do?」とオーバーゼスチャーで職員に抗議している姿を目の当たりにした。

生きるために大声で英語で自己主張する。

この先輩の姿が、その後の私の英語上達に影響を及ぼした。

結局、運転免許を取得することができなかったが、やや高いが自動車保険を契約してくれる保険会社を探し出すことができた。

次にリース車を契約しなければならないが、もはやコロラドスプリングスに外国人に対して車をリースしてくれる会社は無かった。

このため車で隣町にまで行ってリース契約を結ばなければならなかった。

自衛隊の会計上、複数年のリース契約はできないため、自分で単年度ごとのリース契約書を作成して、契約書に署名してもらわなければならないかった。

色々、困難もあったがリース車の契約は無事完了した。

2週間の前任者との引継ぎ期間が終わり、前任者が帰国することになった。

この時、本当に不安で、前任者と一緒に自分も帰国したいとさえ思ったほどだ。

前任者が帰国すると、いよいよ私たち家族の孤軍奮闘が始まった。

テレビや新聞などの契約や各種サービスの申し込みは電話で行うのが普通だった。

しかし電話口の見知らぬアメリカ人の話す英語は容赦なく早口だった。

なんとなく理解しながら契約を進めると、いつも疑心暗鬼になりがちだった。

そんな不安定な気持ちのまま私たちの米国生活が始まったのだ。