コロラドから帰国して2年が経過した。
腰の状態はあまり良くはなっていなかったが、毎日出勤はしていた。
空幕で指揮幕僚課程を卒業した同期たちが命を削りながら泊まり込みで仕事をしているのを横で見ながら、私は軽易な業務をお手伝いしているような状況だった。
悔しかったが、仕方ない。
空幕では在日米軍再編に係る訓練移転と航空総隊司令部の横田移転の業務を担当していた。
「訓練移転」は、2つの目的があり厄介だった。
1つ目の目的は、米空軍の戦闘機と航空自衛隊の戦闘機の共同訓練を行い、相互に相互運用能力の向上を図るというものだった。
特に、実戦経験の豊富な米軍機と共同訓練を行う空自にとってメリットは大きかった。
従来の共同訓練と違い、「気軽」に米訓軍機との共同訓練を行うことがねらいだった。
どこかの英会話学校の宣伝文句のように「駅前留学」のようなものを目指していたのだ。
一方、沖縄の負担軽減のため、嘉手納基地の米軍戦闘機を本州の航空自衛隊基地に移動させ訓練行うという目的があった。
この点いついては全く政治的な目的であり、内局(旧防衛施設庁)が大きな期待を寄せていた。
しかし、空自には全く関係が無いことだった。
いよいよ、経費負担の交渉段階に入ると問題が発生した。
海兵隊出身の在日米軍側の担当者は、沖縄の負担軽減のために自分たちが無理やり本州にある空自基地での移動訓練を強いられている、このため訓練費用は全額日本政府が払うべきであるとの理屈を主張したのだ。
内局担当者は、これをもっともだと理解を示し、防衛省が米軍の訓練経費を全額支払うことで担当者間とほぼ合意していた。
しかし、空自にはこれを黙って見過ごすわけにはいかない理由があったのだ。