CS課程を卒業した後、米国空軍士官学校の教官として派遣されることが確実となり、慌てて英会話の勉強をはじめた。
防大の学生の頃から英語に興味は全く無く、成績も悪かった。
二十代から始まった航空自衛隊でのTOEIC試験も、点数は初級レベルだった。
色々、本を買って来て、片っ端から英語の勉強に取り組んだが、とても数カ月後には大学の先生の真似ごとが出来るレベルでは無かった。
春になってCS卒業後、渡米まで2カ月間、航空自衛隊の経費で渋谷にある英会話学校に通うことができた。
担当の米国人の先生は、私の英会話能力を見て、2カ月後には空軍士官学校に派遣されることを嘆いていた。
私の英会話レベルはその程度だったのだ。
その後、名古屋の小牧基地にある幹部英語課程を2週間聴講させてもらった。
米軍に留学する者を対象として英語の詰め込み教育をするその課程も私にとっては単なる時間稼ぎに過ぎなかった。
「米国に行ったら何とかなるさ」というのがその時の私の率直な感想だった。
数年前にテキサスでの訓練で一緒に勤務した若い女性英語教官との再会を喜び、2週間の小牧旅行を満喫した。
「何とかなるさ」と思って米国に行ったら、実際、「何とかならなかった」のが現実だった。