戦闘機パイロットの夢を追いかける青春物語

戦闘機パイロットになる夢を追いかける青春物語

防衛大学校物語 第191 -目黒川沿いの日米共同訓練-

九州の司令部で勤務も2年となり、私は目黒にある幹部学校に異動となった。

自分自身も米国勤務の前は指揮幕僚課程学生として1年間、勉強に励んだが、今度は、その指揮幕僚課程学生の担任の先生のようなポジションである。

オフィスには、米空軍からの交換幹部がいて、私の隣の席で勤務していた。

J中佐は、奥さんが日本人で、日本人でも知らないようなへんてこな日本語を学習しては、われわれ日本人を驚かせるのが楽しみなようだ。

しかし、慣れない自衛隊での勤務は彼にとって少し窮屈なようだった。

いつも、つまらなさそうにしているので、私は個人的に彼によく声をかけた。

私自身が米空軍士官学校勤務の時には多くの米軍人たちが私と私の家族をフォローしてくれ、2年半の勤務を楽しく過ごすことができた。

今度は、私がその恩を返す番である。

時々、J中佐と一緒に「体力増強」と称してジョギングに出かけた。

個人レベルの「日米共同訓練」である。

桜が満開の目黒川沿いを二人でジョギングしたのが良い思い出となった。

J中佐は救難ヘリコプターのパイロットであり、幹部学校勤務のあとは、米空軍の嘉手納基地勤務となり、志願して何度もアフガニスタンでの作戦に参加したという。

彼が住む嘉手納基地のハウジングに私は家族を連れて訪問したり、付き合いは続いた。

その後、彼は軍を退役して米国の大手航空貨物会社にパイロットとして再就職した。

J中佐とは、現在でも数年に一度であるが一緒に飲む仲である。

お互い、大きく成長した子供たちが当面の悩みの種のようである。

日米のお父さんの悩みは同じである。