入院中の父親が危篤であると実家の母親から連絡があった。
翌日には、飛行機で沖縄から故郷まで飛んだ。
医大病院に入院していた父親は末期のがん患者だった。
意識もハッキリせずほとんど寝ていて、親戚が見舞いに来ても、自分の兄妹さえ識別ができない状態だった。
母親はずっと病院に泊まり込み、父親に付ききりだったので、今夜は私が泊まり込みで父親の様子を看ることになった。
父親との最後のお別れをするという意味だった。
父は、日中、起きているときは世話に来る看護師を激しくののしっていた。
その様子があまりに酷いので、思わず父親に向かって「いい加減にしろ!」って怒鳴りつけた。
私が幼少期の頃から、父は酒を飲んでは母親に暴力をふるうような人だった。
晩年は少し穏やかになったというが、一緒に暮らす母親の苦労は想像に難くなかった。
死ぬなら周りに迷惑をかけないで死んでくれと、本気で思った。
もう脳がやられてしまっているので、理性をコントロールできないらしい。
そうかと思うと、一瞬だけだったが、私の方に視線を投げかけ、にこっと微笑んだ。
私が帰ってきたことを認識したのだろう。
私が防大の学生の頃、帰省する度に、嬉しそうに目じりを下げて話しかける優しい父親のほほえみだった。
父親のベッドの横で一夜を過ごした私は、仕事のため沖縄に帰らなければならない。
母親に促されて病室を後にした。
その時、私は、父親に挨拶をしていないことに気づき、病室に戻った。
父親は、寝ているようだった。
「とうさん、帰るよ」
私はこれが父親との今生の別れになると感じた。
防大受験を進めてくれたのは父親だった。
「お前は無口だから駐在武官に向いている」と父がよく言っていたのを思い出す。
駐在武官になる夢はかなわなかったが、戦闘機パイロットになった私は父にとって自慢の息子だったに違いない。
私は、病室を後にした。