戦闘機パイロットの夢を追いかける青春物語

戦闘機パイロットになる夢を追いかける青春物語

防衛大学校物語 第228 -自衛隊退職-

妻や年老いた母親と姉に、転職したい旨、話すと、皆、同じ反応だった。

あなたの人生なのだからあなたの好きなようにしなさい、と。

転職を反対されたとしても、私の意思は固かったに違いない。

このまま自衛官として定年まで勤めたとしても死ぬ間際に、こんなはずじゃなかった、と転職しなかったことを後悔すると思った。

私は職場の上司に自衛隊を退職することを伝えた。

部長は初め驚いていたが、すんなり認めてくれた。

私が勤務している部署には、私のように処遇にフラストレーションを抱えている隊員も多いのだろう、私が突然退職すると聞くと「勇気のある行動」と賞賛する者もいた。

でも大半は、安定の公務員を捨てて、よく転職するよな、という反応だろうか。

兎にも角にも私は、3月31日付で退職者となった。

最後の日に幹部学校長に退職の申告をしなければならない。

幹部学校長は、前の航空教育集団司令部の幕僚長で私の上司にあたる人だった。

パイロットではないのでパイロットの養成にはたいして関心が薄かった。

当時、パイロット養成を担当する課長として奮闘する私にとって、彼の指導は心に響くものがなかった。

しかし、その後、彼は空将に昇任して幹部学校長に栄転したのだった。

その幹部学校長に最後の退職の申告をしている途中で私は涙がポロポロ溢れてきた。

自衛隊を去ることが寂しいからではなかつた。

ただただ悔しかったからだ。

自分は自衛隊のために一生懸命努力してきたつもりだが、晩年は誰からも評価されず、ついには「幹部学校送り」となって、どうでもいい仕事をする境遇になってしまった。

何故、自分が自衛隊を去らなければならないのだろうか?

本来であれば、自分は大勢の隊員を率いて活躍していたはずなのに。

そう思うと悔しくて仕方なかった。

申告の後、私が自衛隊を去ることを寂しく思い、思わず涙を流したと勘違いした幹部学校長が私を気遣って優しい言葉をかけにやって来た。

私は「この人は人の心が何も分かっちゃいない」と心の底で思った。

こうして私の18歳からの自衛官人生に幕を閉じたのだった。