当時の自衛隊病院はまだ民間人に開放されておらず、診療も自衛官のみを対象としていた。
このため医師もいわゆる「対外試合」の機会が無く、医療技術も民間の医師と比べて低いのではなか、などど自衛隊の中で噂されていた。
自衛隊中央病院はの自衛隊病院の総本山であり、それぞれの地方には自衛隊地区病院が配置されている。
横須賀にある地区病院は、患者に対する扱いが酷さから、防大生は「家畜病院」と呼び、恐れられていた。
しかし、手術前にエコーで私の足首を入念に検査してくれた執刀医の姿に感謝しかなかった。
手術は下半身麻酔の状態で行われたため、術中は意識がある。
途中、急に怖くなり、呼吸が激しく乱れるようになった。
その時、看護師がその温かい手を私の肩の上にのせてくれた。
その母親のような手のぬくもりの中で私は再び浅い眠りについた。
手術は無事終了した。
自分の足首のレントゲン写真を別のセクションに持っていくよう指示された時、途中の廊下でこっそりそれを見た。
骨にボルトが埋め込まれていないか心配だったからである。
もし、骨がボルトなどで固定されていれば、もうアメフトはできないだろうと思っていた。
大丈夫だった。