戦闘機パイロットの夢を追いかける青春物語

戦闘機パイロットになる夢を追いかける青春物語

防衛大学校物語 第53 -英語に興味なし-

1学年時に基礎教育として英語の授業があった。

教官は、横須賀の米海軍将校の奥様だった。

しかし、私はもともと英語が好きではなく、授業中よく居眠りをしいていた。

米海軍将校の奥様は、教室の中を歩き回り、居眠りをしている私を起こすと「Good morning」と嫌味を言うのだった。

このため英語の成績も悪かった。

4年になったある休日、同部屋のY君が机に向かって英会話の勉強をしていた。

私は、Y君に向かって「なぜ自衛官になるのに英語の勉強なんてしているんだい?」とこれをからかった。

自衛官は有事であっても国内でのみで活動するので、英語なんて話せなくてもよいと真剣に思っていた。

日米共同訓練はあったものの、まだそんなに重要視されていない時代だった。

湾岸戦争後の支援として政府が法整備を行い、ペルシャ湾に掃海艇を派遣したのはそれから一年後のことだった。

ここから自衛隊が海外に派遣され活動するPKO活動も自衛隊の主要な任務となったのだ。

それ以降、英語の堪能な隊員はどんどん海外留学や海外派遣のチャンスが与えられ、英語が不得手な隊員はずっとチャンスが与えられずに、英語能力の格差が広がっていくことになる。

英語を真剣に勉強しておけばよかったとこの時、少し後悔した。