北朝鮮による「人工衛星」と称するミサイル発射事案の対応のため、本土から沖縄県に弾道ミサイル対処部隊が派遣されてきた。
在沖縄の部隊を管轄する司令部としては、派遣されてくる部隊のために各種支援を行う責任があった。
私は課長として、連日、沖縄県庁、市役所、警察、海上保安庁など、自治体や関係機関を回り部隊の展開と任務に関する調整を補佐した。
PAC-3部隊がフェリーふ頭に到着すると、大勢の反対派や報道陣がいる中を、県警は基地までの道路をパトカーで先導してくれた。
戦後、米軍や自衛隊などミリタリーに対する反感が根強い沖縄県において、自衛隊が公的機関の協力を得て活動する象徴的なシーンであった。
ところで石垣島で「思わぬ事件」が起こった。
石垣島港湾地区に本土から空自PAC-3部隊が派遣されてきた。
今回の主役である。
そして、このPAC-3部隊を支援するのが那覇に駐屯する陸自部隊であった。
しかし、陸自の部隊長の方がPAC-3部隊の隊長より階級が上で、防大の先輩だった。
このためか、自治体の長との調整や報道対応などでは那覇の陸自部隊長が主役のごとく振る舞う姿が目に付いた。
しばらくして、PAC-3部隊長が陸自部隊長のパワハラにあっているという噂が私たち司令部に聞こえてきたのである。
これを聞いた那覇にいる空自司令官やミサイル部隊の群司令はカンカンになったという。
PAC-3の隊長に代わって、格上の群司令が石垣島に乗り込んではどうか?という意見まで出たらしい。
結局、空自から陸自に対し、やんわりと申し入れを行い、この件は幕を閉じたが、七十数年前の太平洋戦争においても陸軍と海軍が派閥争いのため仲が悪かったという話を聞いたが、状況は現在でも変わらなかったのである。