まだバブル経済が続いていて大学生の就職が有利な時だった。
主将、副将をはじめアメフト部同期の三分の一が任官拒否する異常事態となった。
アメフト部監督のK1佐はさぞ説得に躍起になっていたに違いない。
任官拒否を考えている者は、卒業論文作成のため国会図書館に行くなどと偽って平日に企業の採用面接などを受けに行っていたようだ。
アメフト部の同期の就職先は、外資系金融、大手ゼネコン、有名家電メーカー、有名オフィス家具メーカーなどだった。
特に、有名証券会社の営業社員として体育会系の防大卒は引く手あまただった。
アメフト部のマネージャーをしていたK学生から、「明日、証券会社の採用担当者と会うけど一緒に行く?」と誘われたことがあった。
防大のある小原台を下ると京急観音崎ホテルというリゾートホテルが建っている。
そこでシェフのおすすめコースを食べながら採用担当者の話を聞くというのだ。
少しうらやましい気もしたが、私にはパイロットになるという明確な目的があったので任官拒否は全く考えなかった。
任官拒否者は卒業までに指導教官などから猛烈な説得を受ける。
結局、私の同期は防大史上最も多い任官拒否者を出した。
600人着校して、卒業まで辞めなかった500人のうち100人が任官拒否した。
卒業式の日、任官拒否者は正門から帰ることを許されない。
へんぴな裏門に連れていかれ、そこから防大を去るよう強要される。
最後の最後に理不尽な仕打ちを受けるのだ。
そのようなことをするなら、米軍のように義務年限を設けたり、学費を償還する制度を設ければよいのではないかと思う。
しかし、その制度を設けると防大を志望する学生が減ることを学校は恐れているのである。
何があろうとも私たちにとって同期は同期である。