戦闘機パイロットの夢を追いかける青春物語

戦闘機パイロットになる夢を追いかける青春物語

防衛大学校物語 第101 -米留するかしないか-

何とかクビにならず課程も大詰めを迎えていた。

この課程を修了すると、一部は米国で米空軍の飛行教育を受けることになっていた。

コースAが大量にクビになったので、コースAからの米留は見送られ、その分、私たちのコースBから沢山、米留することになった。

米留にはデメリットもあった。

一番大きデメリットは、国土交通省事業用操縦士免許を取得できないことであった。

その他、国内養成組より一年位、部隊配属が遅れたり、英語や身体検査でクビになるリスクもあった。

私自身、英語はあまり得意な方ではなかったし、とにかく同期の誰よりも早く戦闘機部隊に行ってパイロットとして活躍したいと思っていた。

米留希望調査には、「希望しない」と書いて提出した。

当時、千葉の彼女に会いに、月2回程度、飛行機に乗って会いに行っていた。

付き合い始めたばかりだったから、私が米留すれば付き合いを維持するのは難しいと思っていた。

結局、米留の残りの1枠は埋まらず、最後はコースの担任が個別に説得することになった。

コース担任は、幹部序列が上の方、つまり将来有望なU3尉を説得し、私には声は掛からなかった。

少し残念な気持ちがした。

こうして私は国内養成組に進み、ここで米留組と別れることとなった。

ここが幹部自衛官として大きな分岐点となった。