私が赴任した当時の飛行隊長は特徴的な人だった。
フライトに対しては厳しかったが、一方、地上に降りるとユーモアにあふれる隊長だった。
私はいつも隊長から「緻密な準備、ずさんなフライト」と大目玉を食らっていたが、宴会芸だけは一目置かれていた。
宴会芸と言っても実にハレンチな芸であるが、その斬新さに同僚や先輩から人気があった。
隊長から直々に「今度の飛行隊創設パーティーで芸をやるんだろうな」と念をおされる。
そうなると後席要員として24時間のスクランブル待機に就く時もロシア機どころではなく、待機所でずっと宴会芸のネタ作りが始まる。
パーティーでは大物国会議員の前でハレンチ芸を披露したり、輪島市の民宿では、女体盛りならぬ、「男体盛り」を披露した。
給仕のおばちゃんにも食べてもらった。
「おばちゃんも食べて、食べて」
「食べてくれないと終われないから」
「違う違う、それ僕のウインナー」
などど、私の馬鹿馬鹿しい芸にみんなで盛り上がった。
こうして私はフライトはイマイチだったが、飛行隊で生き延びることができたような気がする。
芸は身を助けるとはまさしくこのことであった。