戦闘機パイロットの夢を追いかける青春物語

戦闘機パイロットになる夢を追いかける青春物語

防衛大学校物語 第149 -3つの航空事故の記憶①-

今夜の夜間訓練で私はモーボ幹部だった。

モーボ幹部とは、滑走路近くの小屋で着陸する航空機の状態を監視する係である。

私と隣の飛行隊のT3尉がモーボ幹部として勤務中だった。

突然、無線機のスピーカーから隣の飛行隊の編隊を呼ぶ管制官からの音声が聞こえてきた。

何度呼び出しても編隊から応答はなかった。

「まずい、ことになっているかも」と私たちは内心思った。

しかし、私の飛行隊の編隊は全機無事着陸したので、しばらくして飛行隊に帰ることにした。

私はT3尉に「がんばれな・・・」とだけ言い残してモーボを後にした。

2機のF-1戦闘機が夜間訓練中に空中衝突を起こして三陸海岸沖に墜落したのである。

搭乗していたパイロットは年齢は私と同い年だったが、ベテランの部類だった。

翌日から三沢基地総出で捜索隊が編成され捜索が行われた。

私たちは何台かのマイクロバスに分乗して基地の隊員とともに岩手県三陸海岸に向かった。

マイクロバスには10名ほどの基地の隊員が乗車していて、私はこの捜索隊のリーダーだった。

一緒に捜索してくれる隊員に向かって「何でもいいので家族のために一生懸命探してほしい」と半べそをかきながらお願いした。

一日中、海岸や漁港などを捜索したが手掛かりは見つからなかった。

あとで聞いた話だが、事故発生以来、事故を起こしたパイロットの家族が住む官舎に、連日連夜、同じ飛行隊の奥さんたちが交代で出向いていたそうだ。

事故を起こしたパイロットの奥さんが自ら命を絶たないように監視するためである。

それから数日して航空事故によるパイロットの殉職が決定的となった。

基地の格納庫で行われた部隊葬で当該飛行隊の隊長が涙を流しながら最後の言葉を述べていたのが印象的だった。

私は初めて身近で悲しい事故を経験したが、事故はこれで終わりではなかった。