戦闘機パイロットの夢を追いかける青春物語

戦闘機パイロットになる夢を追いかける青春物語

防衛大学校物語 第184 -面白い司令官-

司令官は戦闘機乗りで、とてもクセが強いと評判だった。

ある日、報告のために司令官室に入ると、司令官は読売ジャイアンツのユニフォームの上着を着て椅子の上にM次開脚で座っていた。

イジらずにはいられまい。

「司令官、そのユニフォームはどうしたのですか?」と聞くと。

「昨夜、ヤフードームでソフトバンク対巨人の試合を観戦に行ったときに、特別に原辰徳監督とお会いし、監督からプレゼントしてもらったモノだ」と嬉しそうに説明してくれた。

「えーっ、あの原辰徳からですか?」と大げさに驚くと、一層嬉しそうに笑みがこぼれた。

その後、野球の話しを少ししてから、本題の報告ペーパーをさっと出す。

原辰徳の話で気分が良くなっているから、ろくに報告書の中身も確認せずに花押(サイン)をくれる。

帰る際、部屋を出るときに司令官に一礼しなければならないのだが、「監督、帰ります!」と大声で言うと司令官はニヤッと笑った。

また、年始には司令官が自ら操縦かんを握り、配下のレーダーサイト上空まで飛んで行って、無線で新年のあいさつを行うのが恒例行事だった。

比較的若手であった私ともう一人のパイロットが司令官フライトの同乗者に選ばれてしまった。

まず午前中に司令官と私が北部のレーダーサイトを回った。

離陸後、スロットルを一度も引くことなく全速力で中国地方の米軍訓エリアを突っ切り、あっと言う間に島根県の高尾山レーダーサイト上空に到達。

司令官は、グルグル、急旋回を繰り返したあと、何か私に叫んだ。

よく聞くと「英語で何か言え!」と叫んでいる。

下のレーダーサイトでは無線による司令官の新年のお言葉を待っているのだが、それを司令官に代わって私が言えというのだ。

しかも英語で。

いくら米国勤務を経験したといえども、とっさに洒落た英語の新年のあいさつなんてでてきやしなかった。

「A Happy new year・・・・・」が限界だった。

「司令官、ダメです」と泣きを入れると、「んもう、ダメだなぁ」と司令官自ら英語で何かあいさつをしていた。

司令官は臨機応変な対応能力が私にあるかどうか試したのである。

私は内心「やってしまった」と落胆の気持ちを引きずっていた。

司令官はそんな私に関係なく次の山口県の見島レーダーサイトに向かった。(つづく)