九州隷下の全部隊に対する検閲が行われた。
私は司令官を補佐する検閲補佐官の長として、対馬の先端にある海栗島分屯基地に向かった。
海栗島分屯基地は「二重離島」であり、対馬の先端から船で基地のある島に渡った。
警戒隊のスタッフが戦々恐々として、我々、検閲補佐官たちを迎えた。
週末を分屯基地で過ごす我々に対し、警戒隊の幹部たちは対馬の観光地巡りを提案してくれた。
そして彼らが自ら運転する私有車に分乗して終日観光を堪能した。
またある日、隊員が近くの海で釣ったタイを刺身にして夕食時に出してくれた。
さらに、検閲団が寝泊りする外来宿舎の冷蔵庫には、ビールやおつまみがごっそり供えられていた。
これがうわさに聞く、検閲補佐官に対する「接待」なのだとすぐに理解した。
検閲当日、幸か不幸か海栗島分屯基地での基地警備訓練に司令官自ら立ち会うことになった。
しかし、緊張のためか隊員たちは猛特訓の成果を発揮できず、すぐに仮想敵に攻め入られてしまったのだ。
このままでは隊員たちの面目が立たないと感じた私は、前代未聞の「状況の再行」を司令官に提案したのだ。
2回目は何とか仮想敵の撃破に成功することができたが、分屯基地司令の顔には検閲での低評価は免れないという落胆の色が隠せなかった。
後日、検閲の講評のため全部隊の指揮官が司令部に召集された。
お世話になった海栗島分屯基地司令もそこにいた。
海栗島分屯基地の評価は、普通の評価である「良好」だった。
低評価を覚悟していた分屯基地司令は、信じられないという顔で陪席していた私の顔を一瞬見たような気がした。
私は、分屯基地司令に無言で一礼をして会議室を後にした。
「大変、お世話になりました」と。
海栗島で過ごした数日間、分屯基地司令をはじめ隊員たちによるおもてなしに、完全にわれわれ検閲補佐官は「やられてしまっていた」のだ。
基地の隊員たちのもてなしに情が移り、海栗島分屯基地に、何とか良い評価を得てもらいたいという気持ちになっていたことは否めない。
私は以来、絶海の孤島で勤務する隊員に個人的にエールを送りつづけた。