戦闘機パイロットの夢を追いかける青春物語

戦闘機パイロットになる夢を追いかける青春物語

2023-01-01から1年間の記事一覧

防衛大学校物語 第190 -西部航空方面隊50年誌-

もしカ病気にならずタールに派遣されていたらもう少し違う道を歩んでいたのだろうか?と思うことがある。 私の前任と私の交代要員として派遣された同期生は、その後、外務省に出向し、防衛駐在官として海外の総領事館で勤務することになった。 腰痛の件を含…

防衛大学校物語 第189 -イラク支援に行かれず-

司令部勤務2年目の出来事だった。 イラク支援任務として、カタールにある米軍基地で半年間勤務する任務が回ってきた。 このための事前集合教育が東京で開催されることになり、九州から単身上京した。 しかし、数日前の夜に突然、胃の辺りが痛み出したのだ。…

防衛大学校物語 第188 -検閲補佐官の想い出-

九州隷下の全部隊に対する検閲が行われた。 私は司令官を補佐する検閲補佐官の長として、対馬の先端にある海栗島分屯基地に向かった。 海栗島分屯基地は「二重離島」であり、対馬の先端から船で基地のある島に渡った。 警戒隊のスタッフが戦々恐々として、我…

防衛大学校物語 第187 -携帯通話履歴を提出せよ!-

ある新聞に妙な記事が掲載された。 ある大国が国内で弾道ミサイルの発射試験を行ったというものだった。 しかし、その内容に見覚えがあった。 数日前、秘匿情報として司令部の情報幕僚が司令官に対して行った情報ブリーフィングの内容と同じだった。 この事…

防衛大学校物語 第186 -宇宙飛行士選抜試験-

JAXAが宇宙飛行士を募集する。 普通ならば倍率1000倍の狭き門である。 しかし、航空幕僚監部からこの選抜試験に積極的に応募するようにとのお達しがあった。 このことから私は、今回の募集でJAXAは航空自衛隊のパイロットから宇宙飛行士を採用しようとしてい…

防衛大学校物語 第185 -司令官との年始フライトの想い出-

見島レーダーサイト上空での司令官のむちゃぶりに応えることができなかった私は次の対馬にある海栗島レーダーサイトに向かう15分間くらいの間、後席でひたすら英作文を行っていた。 必ず海栗島サイト上空でも司令官に代わって英語で新年あいさつを行うよう命…

防衛大学校物語 第184 -面白い司令官-

司令官は戦闘機乗りで、とてもクセが強いと評判だった。 ある日、報告のために司令官室に入ると、司令官は読売ジャイアンツのユニフォームの上着を着て椅子の上にM次開脚で座っていた。 イジらずにはいられまい。 「司令官、そのユニフォームはどうしたので…

防衛大学校物語 第183 -都落ち、再起をかけて-

航空幕僚監部での勤務も2年が経過した。 腰が悪く、満足に仕事をする事が出来ず、この2年間、市ヶ谷でひっそりと隠れて過ごしていたようなものだった。 通常は、航空幕僚監部での勤務を終えると、飛行隊長など輝かしいポストにつくのだったが、ろくに活躍で…

防衛大学校物語 第182 -経費は米軍と折半-

なぜ在日米軍の訓練移転にかかる経費を日本政府が全額払うことに空自は反対するのか? 結局、その経費は防衛予算の中から捻出されるため、その分、空自の予算が減らされる事が明白だったからである。 担当レベルの口約束と言っても一度日米間で合意したもの…

防衛大学校物語 第181 -在日米軍再編に係る訓練移転-

コロラドから帰国して2年が経過した。 腰の状態はあまり良くはなっていなかったが、毎日出勤はしていた。 空幕で指揮幕僚課程を卒業した同期たちが命を削りながら泊まり込みで仕事をしているのを横で見ながら、私は軽易な業務をお手伝いしているような状況…

防衛大学校物語 第180 -頑張れる日まで頑張らない-

米国勤務で得た経験を活かして航空幕僚監部の幕僚として活躍するはずだった。 しかし、腰痛という健康面の問題のため、仕事すらままならない状態になってしまった。 毎日なんとか出勤はできるが仕事にならなかった。 15分と椅子に座っていられないのである。…

防衛大学校物語 第179 -帰国-

腰の状況は悪く、何とか歩くことができる程度だった。 毎日、物凄く陰鬱な時間を過ごす。 そのような状況の中、後任者がやってきた。 防大の一つ後輩である。 2年半前に自分が来た時と同じように様々な手続きのため後輩を連れて出かけた。 運転免許センター…

防衛大学校物語 第178 -人生のターニングポイント-

もし過去に戻れるならこの日に戻りたい。 そして自分に言い聞かせる。 「今日のボクシング練習は休め」と。 ボクシングのトレーニングで学生たちとダッシュなどをしているとき、腰に鈍痛を感じた。 直ぐにダッシュなど激しいトレーニングは中止したが、腰の…

防衛大学校物語 第177 -米空軍大学への出張-

軍事戦略学教官として知識を向上させるため、米空軍大学で行われている2週間の統合航空作戦課程への入校を米空軍から命ぜられた。 一人でアラバマ州にある空軍基地まで飛行機を乗り継いで赴いた。 幸いにも、知り合いの大先輩の空自パイロットが空軍大学に…

防衛大学校物語 第176 -ボクシング部入部-

士官学校に来て一年も経つと少し余裕が出てきて、何か課外活動でもやりたくなる。 私が防衛大でアメフトの経験者であったとしても、士官学校のアメフトチームに近づくのはためらった。 大学アメフトは単なる部活ではなく、もはやビジネスと言えるからだ。 毎…

防衛大学校物語 第175 -学生による教官評価-

約4カ月の学期が終わる時、これまでの中間および期末テストの成績や普段の授業態度などを総合的に勘案して一人ひとりの成績を決めなくてはならない。 C-以下の成績を付けると、別途その理由などを報告しなければならないので、私は一度もC-以下をつけたこと…

防衛大学校物語 第174 -米軍ハウスでの生活-

米空軍士官学校のあるコロラドスプリングは日本で例えるなら、さながら軽井沢という感じのところである。 ロッキー山脈の東の麓に位置し、自然豊かな全米屈指の避暑地として知られている。 空軍士官学校は広大な敷地の中にあり、あっちの山から向こうの山ま…

防衛大学校物語 第173 -アメフト部員の気持ちは分かる-

米空軍士官学校での教官業務を何とかこなしていると、面白いエピソードがいくつかある。 受け持ちのクラスにアメフト部員が4名いた。 皆、190センチメートルはあるかと思うほど、はるかに私より大柄な学生である。 その学生たちは、決まって最前列に横一列…

防衛大学校物語 第172 -先生はつらいよ-

学期の集大成として学生は「期末試験」を受ける。 試験科目はいわゆる小論文だが、日本人教官の私にとってこれが厄介だった。 手書きなのでとにかく字が汚い。クラスに一人くらいは何て書いてあるか一文字も解読できない答案があるのだ。 他の米軍教官に見て…

防衛大学校物語 第171 -ムービータイム-

授業時間が始まって、はじめの10分くらいは映画を上映するのが常だった。 映画と言ってももちろん戦争映画である。 戦争の残忍さを見事に表現したあの有名な「プライベートライアン」を見せる。 特に冒頭のノルマンディ上陸作戦のシーンは圧巻である。 金曜…

防衛大学校物語 第170 -ついに英語での授業開始-

約半年間の猶予はあっと言う間に過ぎてしまった。 半年前、士官学校に到着した時は、教官なんて出来るわけないと強く思っていた。 しかし、時間だけは着々と進む。 いよいよ米空軍士官学校の軍事戦略学教官としてデビューすることになった。 私の担当クラス…

防衛大学校物語 第169 -生きるために英語をマスター-

息子の発熱のため1週間遅れで妻と息子がコロラドスプリングスに到着した。 幼子を連れての長旅は大変だったに違いない。 しかし、当時の私にはそんなことを気遣う余裕すらなかった。 米国の運転免許を取得すれば米軍人と同じ自動車保険に加入することができ…

防衛大学校物語 第168 -米空軍士官学校到着-

生まれて1歳8か月になる息子を連れて家族3人で渡米する予定だった。 しかし、ハプニングが起こった。 渡米前日、息子が発熱したのだ。 このため急遽、まず私一人で渡米し、あとから妻と息子が来ることになった。 空軍士官学校のあるコロラドスプリングス…

防衛大学校物語 第167 -渡米準備-

CS課程を卒業した後、米国空軍士官学校の教官として派遣されることが確実となり、慌てて英会話の勉強をはじめた。 防大の学生の頃から英語に興味は全く無く、成績も悪かった。 二十代から始まった航空自衛隊でのTOEIC試験も、点数は初級レベルだった。 色々…

防衛大学校物語 第166 -米空軍士官学校派遣!?-

CS課程も半年が経過して残すところあと半年となった。 相変わらず課題、レポート提出の連続波状攻撃を喰らっていたが、その生活にも慣れてきたようだった。 11月に入ると、3月にCS課程修了後の異動先の1次調整が始まる。 私たち学生たちはそのことが気にな…

防衛大学校物語 第165 -残念な話-

指揮幕僚課程を1回目で合格した、いわゆるCS「一年生」である防大同期生は7名くらいいた。 この中に防大時代、タイ王国からの留学生として一緒に学んだS少佐がいた。 彼らは防大卒業後、タイに帰国し、タイ空軍で軍人としての経歴を歩んでいた。 今回、CS…

防衛大学校物語 第164 -指揮幕僚課程-

倍率10倍の難関をパスした50人の学生は、将来の指揮官となるべく幹部学校の指揮幕僚課程、通称CSで1年間かけて学ぶ。 いわゆるエリート教育である。 受験機会は原則33才から36才までの4回なので、私のように1回目で合格する者もいれば、4回目でようやく合格…

防衛大学校物語 第163 -ラストフライトと旅立ち-

本来は編隊長錬成訓練が始まる前には編隊長としての知識技能はある程度、備わっているのがベストだった。 しかし、長い間、後席で看取り稽古ができたにもかかわらず、いざ自分でやってみると編隊長になれるかどうか全く自信が無かった。 そしてついに最終チ…

防衛大学校物語 第162 -パイロットとしての最終試練-

テキサスでの訓練を終了して3カ月ぶりに飛行隊に復帰した。 指揮幕僚課程の選抜試験に合格したため、4か月後には飛行隊を離れ、4月から幹部学校に入学することになる。 それまでにパイロットしての最終関門である編隊長練成訓練が待っていた。 2機で作戦…

防衛大学校物語 第161 -長男誕生と合格通知-

身重の妻を日本に残して私はこの海外訓練に参加していた。 そしてついに長男誕生の知らせが届いた。 メールで生まれた直後の長男の写真が送られてきた。 特に感動とか父親の自覚などという実感は無かった。 テレビなどでよく見る赤ちゃんだった。 妻が出産ま…